出崎統監督が亡くなった直ぐ後に、元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子氏が亡くなりました。お悔やみ申し上げます。
彼女もこんなに早く逝ってしまわれるなんて思ってなかったので驚きました。女優として、いいお母さんも、嫌な感じの女性も演じていて、スーちゃん上手いなと思っていたので残念です。
私はスーちゃんと同世代で、キャンディーズやピンクレディーはガンガン歌ってきたんです。鼻歌で。
日常の家事の合間に鼻歌でも歌わないと続かないわという時に、昭和の歌は今の曲よりシンプルで歌いやすいので、ふと口に出していたりします。
スーちゃんの追悼というのじゃないですが、今も歌えるキャンディーズの「年下の男の子」を口ずさんだら、歌いやすくてビックリしました。今、難しい曲が多いので、メロディーが出やすいのって久々だなあと思ったんです。
で、色々懐かしい昭和の歌をメドレーで歌いながら家事をしてました。
キャンディーズの次はピンクレディー…のはずが、本家でなくて大瀧詠一が作った「渚のシンドバッド」の替え歌の「河原の石川五右衛門」を歌ったり。
これって、ベースは「渚のシンドバッド」ですが、途中に、「S・O・S」や「ウォンテッド」のフレーズが一部出てきたりして、ピンクレディー世代には盛り上がります。
大瀧詠一はフィラデルフィアサウンドをベースに日本でポップスを沢山発表していますが、都倉俊一や、それから筒美京平も好きだったんだなあと思われます。
で、ノリのいい曲からちょっと疲れてくるとテンポのゆったりした、喜納昌吉の「花」を歌ったりして、最後はモップスの「たどりいたら いつも雨ふり」(曲を作ったのは吉田拓郎)が出て、やっぱり疲れたか、というのが出ます。
鼻歌って結構心情がストレートに出るもんだな。
思えば「たどりついたら いつも雨ふり」は、以前、父母が同時に要介護となった時期があって、その時に心身共に疲労が溜まっていった時に、いつも頭の中で回っていた曲でした。でも、歌詞をよく覚えていたのに、その頃は口に出しては歌わなかったのでした。
ただ、ストレスの中で苦しくて、いつも飛行場に行って大声を出してただ喚きたいと思い続けていた日々を思い出しました。実際はそういうことはしませんでした。単純に、時間がなかったのと、やはり人目が怖いので。
今は、あの時、声に出せなかった歌も口ずさみます。不安から、ひどく鬱屈していたあの時よりは、ぼんやりと何も考えないでいる事を覚えたせいなんでしょうか。
今は中村八大の曲が心にしみるなあ。あらためて、名曲やん、と思います。
「上をむいて歩こう」や「明日があるさ」とか。いずみたくの「見上げてごらん夜の星を」も久々に訊くとやっぱりいいなあ。